「近松・恋の道行」
花組バウホール公演を観劇してきました。
感想も全く整理できていないのですが、今、胸にあることだけを。
私、みーちゃん演じる鯉助に恋をしています。
私のツボが、周囲と若干ズレているというのは自覚していますが。
鯉助は、そのズレた私のツボの、ど真ん中に突き刺さってきました。
バウでの公演期間中に、また観劇するのに。
東京でも観られるのに。
宝塚から帰ってきたくなかった。
鯉助に毎日会いたいと思った。
サッシャ、ジョージ、そしてゲオルグ。
彼らをはじめ、みーちゃんの演じてきたキャラクターはみんな大好きですが、
こんなにせつなく、痛い(いろんな意味で・笑)くらいに
劇中の人物に恋をしたのは初めてかもしれません。
毒気をはらんだ瞳。彼の抱えている虚ろな闇。
苛立ち・強がり・焦り・開き直り、いろんな弱さを背負った背中。
鯉助の危うさから目が離せません。
早くまた観劇したい。一度でも多く彼に会いたい。
今はそんな気持ちです。
感想も全く整理できていないのですが、今、胸にあることだけを。
私、みーちゃん演じる鯉助に恋をしています。
私のツボが、周囲と若干ズレているというのは自覚していますが。
鯉助は、そのズレた私のツボの、ど真ん中に突き刺さってきました。
バウでの公演期間中に、また観劇するのに。
東京でも観られるのに。
宝塚から帰ってきたくなかった。
鯉助に毎日会いたいと思った。
サッシャ、ジョージ、そしてゲオルグ。
彼らをはじめ、みーちゃんの演じてきたキャラクターはみんな大好きですが、
こんなにせつなく、痛い(いろんな意味で・笑)くらいに
劇中の人物に恋をしたのは初めてかもしれません。
毒気をはらんだ瞳。彼の抱えている虚ろな闇。
苛立ち・強がり・焦り・開き直り、いろんな弱さを背負った背中。
鯉助の危うさから目が離せません。
早くまた観劇したい。一度でも多く彼に会いたい。
今はそんな気持ちです。
日本青年館公演(1)
2月20日、「ロバート・キャパ 魂の記録」日本青年館公演の千秋楽から
数日が過ぎました。
青年館公演を観劇して、バウとは感じ方の変わったところがありました。
それは、アンドレに対するチーキの気持ち。
バウで観た時には、アンドレのことを親友として大好きで、とても信頼していて
見守っていたいと思っているんだな、と思いました。
今回、その印象に加えて、チーキ自身の思いも伝わってきたように感じました。
一幕でフークに職業を問われて「活動家」と名乗るチーキ。
にも関わらず、彼の「活動」は劇中には全く出てきません。
二幕では、国際義勇軍としてマドリッドに向かうアンドレたちを送り出し、
「事務所は僕とコーネルに任せろ」と自ら留守番をかって出ます。
(この展開には、愚痴交じりに友人たちと「活動家なら一線に出ようよ、
なんで留守番なの!?」とボヤいたものです…)
史実のチーキ・ヴェイス氏が、この頃、政治活動を行っていたのか、
キャパと志を共にしていたのか、等は分かりません。
でも、少なくとも、この物語の中のチーキにとっては、「ロバート・キャパ」の
写真を世に送り出すことこそが、ファシズムと戦うことだったのでしょう。
一幕はじめのベルリンの場面で、グットマン社長が、アンドレの写真を
「真実を映す強烈な光が宿っている」と評すると、チーキは、手にしていた雑誌に
掲載されている、アンドレの写真をまじまじと見つめます。
その表情は、“これが『真実を映す光』かあ…”と言っているかのよう。
アンドレを友人として愛していただけではなく、彼の写真が持つ力を信じ、
彼の写真を通じて自分の理想を実現することができると信じていたのでしょう。
二幕のパリの場面で「いわれのない中傷など気にするな」と訴えるチーキ。
最初は、彼の痛々しい表情を、親友のアンドレが傷つくのを恐れているからだと
思っていましたが、それだけではないのでしょうね。
きっと、彼は、世間からのキャパの作品への評判に一緒に喜び、
「崩れ落ちる兵士」を批判された時にはアンドレと同じ気持ちで苦しんでいたはず。
“キャパ”を生み出したのはアンドレとゲルダの二人ですが、チーキも、
彼らと同じ気持ちで戦った、もうひとりのキャパだったのだな、と思いました。
二幕ラスト、アンドレのライカを手に、彼の写真、生き方について語るチーキ。
ライカを愛おしそうに包み込む彼が、ライカを通してアンドレの魂を抱きしめて
いるように見えました。
特に、千秋楽公演のこの場面は、重くなりすぎず、それでいて優しさと愛に
溢れていました。
週末に観劇した際には、みーちゃん、ちょっと昂ぶりすぎていないかな、
語りの場面、台詞のタメが長すぎないかな…と少々気になっていて、
千秋楽はどうなっちゃうんだろう、と余計な心配をしていたのですが、
全くの杞憂に終わりました。
そのほかの場面も、台詞の間や硬軟のバランスが絶妙で、千秋楽のチーキが
とてもとても好きでした。
数日が過ぎました。
青年館公演を観劇して、バウとは感じ方の変わったところがありました。
それは、アンドレに対するチーキの気持ち。
バウで観た時には、アンドレのことを親友として大好きで、とても信頼していて
見守っていたいと思っているんだな、と思いました。
今回、その印象に加えて、チーキ自身の思いも伝わってきたように感じました。
一幕でフークに職業を問われて「活動家」と名乗るチーキ。
にも関わらず、彼の「活動」は劇中には全く出てきません。
二幕では、国際義勇軍としてマドリッドに向かうアンドレたちを送り出し、
「事務所は僕とコーネルに任せろ」と自ら留守番をかって出ます。
(この展開には、愚痴交じりに友人たちと「活動家なら一線に出ようよ、
なんで留守番なの!?」とボヤいたものです…)
史実のチーキ・ヴェイス氏が、この頃、政治活動を行っていたのか、
キャパと志を共にしていたのか、等は分かりません。
でも、少なくとも、この物語の中のチーキにとっては、「ロバート・キャパ」の
写真を世に送り出すことこそが、ファシズムと戦うことだったのでしょう。
一幕はじめのベルリンの場面で、グットマン社長が、アンドレの写真を
「真実を映す強烈な光が宿っている」と評すると、チーキは、手にしていた雑誌に
掲載されている、アンドレの写真をまじまじと見つめます。
その表情は、“これが『真実を映す光』かあ…”と言っているかのよう。
アンドレを友人として愛していただけではなく、彼の写真が持つ力を信じ、
彼の写真を通じて自分の理想を実現することができると信じていたのでしょう。
二幕のパリの場面で「いわれのない中傷など気にするな」と訴えるチーキ。
最初は、彼の痛々しい表情を、親友のアンドレが傷つくのを恐れているからだと
思っていましたが、それだけではないのでしょうね。
きっと、彼は、世間からのキャパの作品への評判に一緒に喜び、
「崩れ落ちる兵士」を批判された時にはアンドレと同じ気持ちで苦しんでいたはず。
“キャパ”を生み出したのはアンドレとゲルダの二人ですが、チーキも、
彼らと同じ気持ちで戦った、もうひとりのキャパだったのだな、と思いました。
二幕ラスト、アンドレのライカを手に、彼の写真、生き方について語るチーキ。
ライカを愛おしそうに包み込む彼が、ライカを通してアンドレの魂を抱きしめて
いるように見えました。
特に、千秋楽公演のこの場面は、重くなりすぎず、それでいて優しさと愛に
溢れていました。
週末に観劇した際には、みーちゃん、ちょっと昂ぶりすぎていないかな、
語りの場面、台詞のタメが長すぎないかな…と少々気になっていて、
千秋楽はどうなっちゃうんだろう、と余計な心配をしていたのですが、
全くの杞憂に終わりました。
そのほかの場面も、台詞の間や硬軟のバランスが絶妙で、千秋楽のチーキが
とてもとても好きでした。